僕は毎年、金沢のしいのき迎賓館で作品展を行っています。
数年前から毎回、足を運んで頂く年配の姉妹がいました。僕の作品を大変気に入って頂いていて会場でお目にかかれることが喜びでした。
3年ほど前から妹さんの方が身体の調子が悪くなり来られなくなりました。お姉さんの喜代子さんはその後も一人で来て頂いていました。
しかし彼女も歩行が困難になり娘さんに車椅子を押してもらっての来場となりました。どんなに困難な状況でも僕の作品に会いに来たいという彼女の思いには頭が下がるばかりでした。
その後、残念なことに来場することは難しくなり娘さんが代わりに一人で見えられるようになりました。
今回、天徳院での作品において案内状を送る先を思案している時、当然のように彼女のことが真っ先に思い浮かびましたが、もう来ることが出来ないのに送ってもよいものか悩みました。しかしお知らせだけはしておこうと考え送らせてもらいました。
会期が始まる前に彼女の娘さんの名前で手紙が届きました。僕はその手紙を見た瞬間、その手紙が何を意味するのか解りました。
そうです、喜代子さんは先月亡くなりもうこの世の人ではないということが書かれていました。そして作品展には母の代わりに是非、伺わせてもらいたいという内容でした。
作品展の会期が始まった初日に娘の智香子さんが来場してくださいました。
母の代わりにという思いで丁寧に見て頂きました。そして母のために一つ作品を仏前に飾りたいとおっしゃって頂きました。
彼女が選んだのは白山の夜明けの風景作品!母は紫色が好きだったからと言い紫色の空が広がる僕自身、とてもお気に入りの一枚を選んで頂きました!
実はこの作品は会期の直前まで出展しないつもりでいたのです。福井の大谷寺さんへ奉納させて頂いた経緯もあり8月のWEB上での作品展で紹介したので今回はいいかな?と思っていまた。
しかしそれに代わる同じ日に撮った白山の写真を作り込むのだががなかなか理想の色が出なくて諦めていました。
そして思った!この作品はまだ作品展として人前でお披露目していないのだからこれを出すべきだと!
こうしてこの作品は出展するという方向になったのです。
そうして智香子さんの目に留まりお求め頂いた。なんという流れだろうか!
喜代子さんがもし来られていたならきっと同じ作品を選んでいたに違いないと思った。
作品展が終わり、丁寧に額装仕上げをした。最初、智香子さんは取りにみえられると言ってくれたが僕の中でお届けして仏前に手を合わせたいという思いがあった。
彼女と連絡を取り12月12日にご自宅にお邪魔して仏前にお届けすることが出来ました。
一緒に合同作品展をした書家の津曲佑蒼子さんにも智香子さんは母の名前の一文字を書いてもらいたいという依頼をしていたので彼女の描いた色紙も一緒にお持ちして両作品を仏前に飾らせてもらうことが出来ました。
写真家をしていていろんな方との出会いやドラマがありますが、今回は本当に心に深く刻まれるよいご縁と思い出を頂くことが出来て感謝に堪えません。
喜代子さんのご冥福をお祈りいたします。