今日で震災から10年が経ちました。
自分の中でも風化させないために朝から取材したたくさんの写真に目を通し震災を降り返って見ました。
東日本大震災が起き、居ても立っても居られなくなって一月が経たない4月の初めに被災地に向かいました。
全て自己責任でジープのルーフキャリアーに水、食料、ガソリン、テント、シュラフ等を積んで被災地に向かったのです。
現地に着き、どこかでボランティアをするつもりであったがあまりの悲惨な風景と自分一人の力が何の役に立つのだろうかという無力感でどこのボランティアにも参加せず、ただただ泣きながら写真を撮っていた。
映像では伝わらないもの、それは臭いである。なんとも言えない異臭があたり一面に漂い、酸っぱい刺激臭が目を刺激し、悲しみも相まって涙が止まらなかった。
空にはヘリコプターが飛び、自衛隊の隊員が手に持った棒を突きながら横並びに前進して死体を探しているそんな時期であった。
2~3日が経ち、いつも仕事をさせてもらっている雑誌の編集長から連絡が入り「現地に入って雑誌の取材をすることになった。
そんなところでウロウロしているなら我々と合流して雑誌の撮影をしてくれないか?餅屋は餅屋の仕事をしないとな!」ということだった!
渡りに船とはこのことである。すぐに「やります!」と答えたのだった。
先に現地に入っていたので北へ向かうには国道の橋が崩落しているので別ルートで迂回しないと行けない等の情報を掴んでいたので編集チームと合流してからは結果的に水先案内人の役割を果たせ良かったと思う。
写真は思いつくまま選びました。
石巻、釜石、大船渡、気仙沼で撮影したものです。
震災の悲惨さと脅威をもう一度再認識しました。さらなる復興と人々の幸せを願います。