僕は今までにいろいろな寺院や神社に奉納をして来ました。
昨年の8月に還暦を迎えてふと思いつくことがありました。
それは肝心な自分の住んでいる場所、それも大切な寺院、神社を忘れてはいなかったかということです。
そうした時、3つの場所が心に浮かびました。
まず一つは自分の産土神社である国造神社、そして門徒としていつもお世話になっている林幽寺、もう一つは僕の出生後、間もない時に関わりのあった大切な寺院である千手院。
還暦の60歳を迎えたいま、感謝の意を込めて奉納をさせて頂こうと決めました。
ここで千手院のことを語っておきたいと思います。私は難産の末、帝王切開で産まれました。そして手と首が曲がっており2週間の高熱が続き、どの医者からも助からないと見捨てられていました。万が一助かっても五体満足では生きていけないとも言われていたそうです。
諦めた祖母は水子供養の準備も始めていたそうです。
母は諦めきれず、出生届のギリギリの期限である14日目に近くにあった千手院に僕を連れて藁をもすがる思いで訪ねたのです。
そうすると住職に「この子は助かります!きっと世の中に役に立つ人物になるでしょう!」と言われ名前を付けてもらいました。
南島幻は僕の写真家としての活動名ですが、本名は藤田彰照と言います。彰照(あきてる)という名前を頂いたのです。
母親の献身的な看病があって僕は生きながらえることが出来ました。手が痛くなるほど毎日、僕の曲がった手と首をマッサージをしてくれて直してくれました。生後、1年くらいに医者に診せ行った時、「奇跡としか考えられない」と言われたそうです。
今はいたって健康な体で生活をしています。
千手院の住職に、そして守り本尊である千手観世音菩薩に命を授かったのだと思っています。
当然、当時の栄験住職はもうこの世には居なく、今は誰も寺を継いでおらず住職が不在の寺であると聞いていました。
同じ真言宗の観音院さんの住職からご子息の情報を頂き、幸いにも連絡を取ることが出来ました。
僕は弘法大師空海を厚く崇敬しています。奉納は空海の命日である3月21日にしたいと考えていました。そのご子息に僕の命名のことや奉納の希望を書いた手紙を書いて送りました。
了承を得て奉納が実現する運びとなり喜んで居ましたが。しかし、奉納の2日前に彼が急遽入院されたと奥様から連絡がありました。
「奉納は延期しますか?それとも私で良ければお受けします」と言われました。21日というこの日にこだわりを持っていた僕はこの日に行いたい旨を伝えました。
金沢市野町にある千手院の入り口、全景です。
本尊は千手観音で敷地内には沢山の千手観音像があります。
奉納の当日、最初の約束は午後3時からの予定でしたが、奥様から午前でも良いと言われ変更させてもらいました。
僕の当初からの希望通りに午前になったのもお大師様のご加護かと思います。
住職が不在の中での奉納なので自ら般若心経を唱えさせて頂き、納めさせて頂きました。
奥様と話すうちに僕だけでは無く、助からないと言われここに来て助かった人が何人もいるということを知り驚きました。そして住職が不在でも檀家のみなさんで寺の修復や清掃などが行われ寺院として維持されて居ることが解り、安堵の気持ちでいっぱいになりました。
そして奥さんに「還暦とは0歳に戻るということですよ」と言われました。
この0歳と言う言葉がとても心に残りました。〝自分は0歳の時、母親とここに居た!そして60年後の今、またここに来させて頂いた。また0歳に戻ったのだ〟という深い感慨が沸き起こって来ました。またここから新たな人生の始まりなのだという清々しい気持ちになりました。
奉納の作品は画題、「真言の彩り」です。龍が踊るような彩雲の写真です。
撮影地は白山市、弘法大師と関係がある美川の「蓮池の水」です。
奉納の日の数日前に出来上がった作品を持ってこの写真を撮らせて頂いた場所へ報告とお礼に行きました!
林幽寺への奉納を思い立った時、昨年暮れにお寺から送られてきた法要のお知らせのことが頭に浮かんで来ました。
母親の十七回忌と父親の七回忌が今年、2021年にあたるというお知らせでした。
この法要のことを思い出し「そうだ!今年はこの法要をしっかりと行い、その時に奉納をさせてもらおう!」という思いに至ったのでした。
住職に連絡をとり日にちを設定したのがこの日の午後1時からでした。
コロナ禍の中なので会食をとりやめ、お寺の広いお堂に間隔をおいて親族に参列してもらい法要を行うことが出来ました。
金沢市弥生町にある林幽寺の全景です。
この作品も千手院に奉納した写真と同じ、白山市の蓮池町で撮影した作品です。
蓮池は父親の出身地であり僕にととっても大切な場所です。
白山と上空に出た彩雲と暈を撮影しました。
画題は「泰平の光」です。世界の安泰とコロナの終息を祈願する意を込めました。
この林幽寺は浄土真宗です。この宗派では奉納という言葉は使えず〝寄贈〟という形になります。
先に書いた千手院への奉納はこの法要の後の午後3時でしたが、結果として先に行うことが出来て良かったと思います。
両親へ両作品の奉納、寄贈を報告をすることが出来た訳で全ては神仏の計らいで段取りされていたということを強く感じました。
感謝です。