2022年12月12日に伊夜比咩神社への奉納をさせて頂きました。
この奉納が行われるまでの行程には多くのドラマがありました。
10月11日に友人たちと能登島に集まりました。その時、僕の気になっていた伊夜比咩神社に立ち寄り仲間たちと敷地内で楽器を演奏することにしたのです。事前に許可を取ってはおらず賽銭箱の前あたりでの演奏を考えて居ました。しかしそこにいたメンバーのうちの一人が宮司さんと知り合いで許可を取りにいってくれました。
すると快く受け入れてくれました。どうせなら中に入って神前でされたら良いと言って頂き、まるで本当の奉納演奏のような形で行わせて頂くことが出来たのです。
演奏が終わって宮司さんから神社の由緒などを聞かせて頂きました。
越後の伊夜比古神(男神)と、この神社のご祭神である伊夜比咩神(女神)とが年に一度、逢瀬を楽しむという……
この地区の名である向田の火祭りというのがあり、高く燃え上がった松明は新潟の弥彦からも見えるほどで能登の愛しい女神に会いに来られる伊夜比古神(弥彦神)に道筋を示すためであると言うことでした!
なんというロマンチックな話しだろうと深く心に留まりました。
能登島を後にして数日が経ち、伊夜比咩神社や宮司さんの事を思い出していたところ、是非奉納をさせて頂きたいという思いに駆られました。
すぐに筆を執り宮司さんに宛てた手紙を書き送りました。あするとすぐに快諾の返事を頂くことが出来たのです。
話しは少し寄り道をさせて貰います。
11月7日に金沢市の瀬織津姫神社で実把さんという女性と出逢い意気投合したのです。彼女は茨城から来ていていました。
茨城のにある御岩神社の話しを聞かされとても行きたいと思ったのです。
12月に入り茨城に向かうので案内をして欲しいと伝えました。すると僕の出発しようと計画していた4日は新潟でワークショップをしているとの事でした。翌日はまだ行ったことのない弥彦神社に参拝する予定だとも聞きました。
そこで僕は閃いたのです。10年以上前に一回だけ行った弥彦神社に自分も行きたいと……
そういう流れで茨城に向かう前に一緒に弥彦神社を参拝することになったのです!
5日の朝に落ち合い7時から毎朝行われている御日供祭(おにっくさい)に参列させて貰うことにしました。
ご神事のあと本殿の裏手へと向かいました。弥彦山への登山を考えていましたが天候に依っては止めておくつもりでした。
頂上までの時間は約2時間、雪も降り始めていました。行けるところまで行こうと鳥居を潜り登山道を歩き始めました。
すると何かのスイッチが入ってしまった彼女の勢いに僕も引きづられ二人で山頂を目指す事になったのです!
雪景色を楽しみながらの登山でした。すれ違う地元の参拝の方たちはみんな優しく僕たちの軽装の出で立ちを案じてくれました!
頂上付近で湧水がありました。持参していたペットボトルに汲ませて貰うことが出来ました。
山頂の神前では二人で奉納の演奏と舞をさせて頂きました。
そしてこの時閃いたのです。12日の伊夜比咩神社への奉納の際にはこのお水も一緒に奉納させて頂こうと……
この水で伊夜比咩神と伊夜比古神をお繋ぎする事が出来ると……
写真は順に弥彦神社本殿、弥彦山への登山道、頂上付近、山頂の奥宮、実把さんの舞です。
話しは再び奉納の日に!
10時の奉納に合わせて立ち会いとして氏子総代の方がお見えになっていました。
額装写真の奉納の後に奉納演奏もあることを知り、氏子の方に次々と連絡を入れて頂き何名かが駆けつけてくれたのです。
宮司さんの祝詞奏上で奉納式が始まりました。
10月にも一緒だった楽謝さんによるクリスタルボウルの演奏、そして僕がギターを奏で「あわのうた」を歌いました。
これに合わせ楽謝さんのティンシャと鈴、実把さんの舞が加わりました。
なんの打ち合わせもリハーサルもなかったのですが息がぴったりと合い素晴らしい空間を演出できた感じでした。
式の終了後、宮司さんから「この神社始まって以来の素晴らしい奉納の祭典となりました。弥彦山からの水も添えられて伊夜比咩さまもお喜びだと思います」というお言葉を頂きました。
氏子の方たちも僕の一連の流れの説明に熱心に耳を傾けてくれました。
僕自身も感極まり涙が溢れて来ました……
本当に素晴らしい奉納式となりました。
宮司様を始め、氏子の皆様、楽謝さん、実把さん!ありがとうございました。
感謝いたします。
写真は神に伊夜比咩神社、楽謝さんのクリスタルボウル演奏、3人による「あわのうた」演奏、宮司さんとの記念撮影です。
弥彦山から頂いて来たお水です。
このお水を乗せる三宝を準備して頂きました!
奉納をさせて頂いた作品です。
画題は「能登島の開闢」
2009年に能登島の東の端、野崎という所から撮影した朝焼です。
僕にとってとても思い入れのある作品で奉納を思い立った時にすぐにこの作品が脳裏によぎったのでした。